◆ 舎人親王とは...
 舎人親王 (とねりしんのう)
 [天武天皇5年(676年) - 天平7年11月14日(735年12月6日)、60歳去]
 飛鳥時代から奈良時代にかけての皇族。 舎人皇子(とねりのみこ)とも記される。

 天武天皇(第40代)の第六皇子

 生母、新田部皇女 [にいたべのひめみこ、生年不詳 - 文武天皇3年9月25日
    (699年10月23日)] は、天智天皇の皇女。母は橘娘(父:阿倍内麻呂)。

 淳仁天皇(第47代)の父でもあり、諡号は崇道尽敬皇帝(すどうじんけいこうてい)。
 官位は一品・知太政官事、贈太政大臣。

 天武天皇の諸皇子の中で最後まで生き残り、
 奈良時代初期に長屋王とともに皇親勢力として権勢を振るう。

 『日本書紀』の編集を総裁した事でも著名。

 子孫の清原氏は、「高市皇子系列の高階氏」と共に
 天武系後裔氏族として永続した血脈となった。
 枕草子を書いた清少納言もこの血脈の子孫。

 ◆ 二人の母...!?
 東明寺の歴史で触れております開基の経緯に関する寺社伝では、
 母・持統天皇(第41代)とされていますが、
 実母は、新田部皇女[母:阿倍橘娘(父:阿倍内麻呂)]。

 持統天皇[母:蘇我遠智娘]と、新田部皇女は、
 生母は違えど天智天皇(第39代)の皇女である事から姉妹であり、
 舎人親王にとって持統天皇は叔母に当たる関係にして、
 父である天智天皇の妃でもあり、義母でもある関係。 (ややこしいですね;;)

 東明寺開基の時期の人間的、社会的、政治的、様々な要因と関係で、
 持統天皇との続柄を母子と表わしたものと推測されますが、
 ここは「義母の病を治癒するために奔走した心優しき息子」という括りで...^^

 ※ 奈良時代の歴代天皇に新田部皇女を加えた系図 (下段にリンク)

 ◆ 「万葉集」より 歌人 舎人皇子
 舎人親王は、万葉集に三首の歌を残す歌人でもあります。
 柿本人麻呂歌集には、舎人親王に献上された歌が五首も残されている事から、
 二人に深い交流があったものと察せられます。
 また、懸賞金を出し「おもしろい歌を作れ」といった題詞もあり、
 文雅をこよなく愛する才人であったと思われます。

 ◆ 「万葉集」 巻第二巻 一一七

 大夫や 片恋ひせむと 嘆けども 醜の大夫 なほ恋ひにけり
 ますらをや かたこいせむと なげけども しこのますらを なほこいにけり

 【意訳】
 男子たる者「片想いなどするものではない!!」と思い嘆いてはみても
 不甲斐なき私は なおも恋しく想ってしまうのです。

 【語訳】
 ■ますらを = 立派な男子、 武人。 原文は初句「大夫」、第四句では「益卜雄」。
 ■醜 = 蔑む言葉。

 【補記】
 舎人娘子(とねりのおとめ)が、これに和へ奉げた一首が万葉集同巻一一八に
 「嘆きつつ 大夫の恋 ふれこそ我が 結ふ髪の 漬ちてぬれけれ」
 【意訳】
 立派な男性がそのように嘆きながらも恋してくださるからこそ
 私の結った髪もあなたの霧となった息に濡れ解けたのですよ
 ※髪がひとりでに解けてしまうのは誰かに想われている証しという伝えが在った。

   ◆ 「万葉集」 巻第九巻 四二九四

 ぬば玉の 夜霧ぞ立てる 衣手の 高屋の上に たなびくまでに
 ぬばたまの よぎりぞたてる ころもての たかやのうえに たなびくまでに

 【意訳】
 夜霧が立ちこめている、、高家の上に棚引くほどに

 【語訳】
 ■ぬばたま(射干玉) = 扇のように幾重にも重なった葉から「ヒオウギ」と呼ばれる
  橙地に赤い斑紋の特徴的な花がつける「真っ黒な実」の事。
  その色から、夜や髪、夢など黒いものに掛かる枕詞として使われてきました。
 ■衣手 = 袖の意。 手(た)の縁から「た」に始まる地名に掛かる枕詞とされた。
 ■高屋 = 高殿(高い家)。 奈良県桜井市の高家との解釈も...

 【補記】
 飛鳥人が目にした夜霧の景観を真っ直ぐそのままに歌った流れるような調べ。

 ◆ 「万葉集」 巻第二十巻 四二九四

 あしひきの 山に行きけむ 山人の 心も知らず 山人や誰

 【意訳】
 元より山にお住まいの仙女様であられる陛下が、山に行かれたと仰るお心が解りません。
 陛下の仰る「山人」とは何者の事でしょう?(つまり、山村の住人の事なのですね?)

 【語訳】
 ■あしひきの = 「山」にかかる枕詞。 解釈が諸説あり...
 ■山人 = 仙人、仙女。

 【補記】
 元正太上天皇が山村に行幸した際の詠、
 「あしひきの 山行きしかば 山人の 我に得しめし 山つとそこれ」 に和した歌。
 第三句の「山人」は、深山に住む絶世の美女たる仙女を意味する。
 上皇の御所を仙洞〝藐姑射(はこや)の山〟というので、
 戯れに上皇を仙女に擬えたものとされています

■ 第38代~48代 天皇 + 舎人親王生母 系図
 
古人大兄皇子
 
倭姫王
(天智天皇后)
 
 
 
 
 
天智天皇(38)
(中大兄皇子)
 

持統天皇(41)
(天武天皇后)
 
 
 
 
 
 
 
 
新田部皇女
(天武天皇妃)
 
 
 
 
 
 
 
 
元明天皇(43)
(草壁皇子妃)
 
 
 
間人皇女
(孝徳天皇后)
 
 
弘文天皇(39)
(大友皇子)
 
葛野王
 
池辺王
 
(淡海)三船
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
施基皇子
(春日宮天皇)
 
光仁天皇(49)
 
桓武天皇(50)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
早良親王
(崇道天皇)
 
 
 
天武天皇(40)
(大海人皇子)
 
高市皇子
 
長屋王
 
桑田王
 
磯部王
 
石見王
 
(高階)峰緒
〔高階氏へ〕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
草壁皇子
(岡宮天皇)
 
元正天皇(44)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大津皇子
 
 
文武天皇(42)
 
聖武天皇(45)
 
孝謙天皇(46)
称徳天皇(48)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
忍壁親王
 
 
吉備内親王
 
 
 
 
 
 
井上内親王
(光仁天皇后)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
長親王
 
智努王
(文室浄三)
 
大原王
 
(文室)綿麻呂
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
御原王
 
小倉王
 
(清原)夏野
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
舎人親王
(崇道尽敬皇帝)
 
 
淳仁天皇(47)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
貞代王
 
(清原)有雄
〔清原氏へ〕
 
 
 
 
 
 
 
 
新田部親王
 
塩焼王
 
(氷上)川継
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
道祖王
 
●赤太文字は舎人親王と深い関係を強調。 (※)は「第※代天皇」を表わす。
■ 血 縁 
  • 父:天武天皇
  • 母:新田部皇女(天智天皇の娘)
  • 大夫人:当麻山背(当麻老の娘)
    • 次男:三原王(御原王)(?-752) 清原氏の祖
    • 七男:大炊王(淳仁天皇)(733-765)
  • 妃:当麻氏
    • 三男:船王(?-?)
  • 生母不明
    • 長男:守部王(?-?)
    • 四男:池田王(?-?)
    • 五男:三島王(?-?)
    • 六男:三使王(?-?)
    • 男子:御浦王(?-?)
    • 男子:厚見王(?-?)
    • 男子:貞代王(?-?) 清原氏の祖
    • 女子:室女王(?-759)
    • 女子:飛鳥田女王(?-782)

出典、参考 寺社伝書簡 及び Wikipedia (←経歴・官歴 等の詳細も在り・外部リンク)